戦後に至ると、信長の政治面での積み重ねたことは高評価され、革命者としての印象が増した。ルイス・フロイスなどは記した日本史のリサーチが発展し、比叡山焼き討ちやわが身を神明とする所為や「(信長が)自ら書簡に第六天魔王と記した」という記録から「無神論者」、「破壊者」といったイマージュが生まれ、それを活かした虚構制作物も少なくない。
しかし江戸期あたりで小瀬甫庵が記した信長記によって知られたが、絵本太功記等で万民に親しまれた豊臣秀吉につき合わせると、万民のあいだでの見方はそれほど良いものではなかったようだ。明治以後は信長が行った御料所リカバリ等の事跡が勤王家としてのイメージに関連、1869年(明治2年)に明治政府は織田信長をまつる仏閣の営造を申しつけた。1870年(明治3年)、天童藩(山形県天童市)知事の織田信敏が東京の自宅および藩内の舞鶴山に織田信長をまつったやしろを造営した。この折り信長をまつったやしろには神祇官から建織田社、後には建勳社の社号を賜った。その後、1880年(明治13年)には東京の建勲神宮は、山城船岡山の天頂に移っている。1917年(大正6年)には正一位を贈られている。
日本史で人気がある時代は大きく二分される。
つまり、「戦国時代」と「幕末(江戸幕末)」である。このブログでは前者を主に取り上げることとするが、前後して例外もあるかも知れない。
というのも、例えば江戸幕府2代将軍徳川秀忠などは「関ヶ原」=戦国時代にも活動するが、彼が世間に脚光を浴びるのは、「将軍時代と大御所時代」=江戸時代である。そんな点はご了承されたい。
つまり、「戦国時代」と「幕末(江戸幕末)」である。このブログでは前者を主に取り上げることとするが、前後して例外もあるかも知れない。
というのも、例えば江戸幕府2代将軍徳川秀忠などは「関ヶ原」=戦国時代にも活動するが、彼が世間に脚光を浴びるのは、「将軍時代と大御所時代」=江戸時代である。そんな点はご了承されたい。



